スピ「批判」のお作法とは
「スピ」断ち宣言をしてから約一か月がたったんだろうか。
今回はスピハラ、キラスピ批判と、その「お作法」についてつらつらと書きたい気持ちが。
陰謀論や選民思想(個人でも、国単位でも)、マウントに走る、頼んでもないのにすぐに波動の高低で人・ものを「ジャッジ」するが、中身が空っぽの(というより自分の頭で考えてない)「スピリチュアル」とは距離を取ることを決意してから、本当にすっきりした分、今まで半分目をつむってきた過去のスピ界隈での経験を改めて振り返ることがでてきた。
「あ~、私はあの時いやな思いをさせられてたんだな」とか
「離れて正解だったな」とか、いろんな感情が出てくるね。
幼少期は見えない世界を当たり前に思っていたけど、「大人」になってからスピリチュアル云々については完全アンチになり、ニーチェの「神は死んだ」を口癖にしている人間だった私は、パニック発症を機に、レイキに行き着いた。実際、体感・感覚に素直になってみた結果、「見えない世界がある」という視点が開かれたというか、楽になったこともたくさんあった。
レイキ自体は今でもとても好きで、週一くらいのペースで自己ヒーリングにいそしんでいる。ただ、そのヒーラーさんから、今思えばマウント(ハラスメントか)をとられていた。
例えば、
・入店早々、私に対し「(邪気を)すごいだしてる、頭くらくらしてきた」という(笑)
・重いものがたくさん出てきて辛かった時期に、「あたなは今世では全部浄化は無理よ」と笑われる(笑)
・「自分は既に5次元にいる」という。
・いかに自分以外のスピリチュアルが偽物かを熱く語られる。
・自分が勧めた歯医者に行かず、私が通う歯医者をほめると機嫌が悪くなるw
決め手は、
・不安が溢れてパニくってた時に、「あなたはこの○○(ヒーリングスペース)への信頼が足りないのよ!」と怒られたことだ。その時私、数年ぶりに人前で泣いたんだわ。
何でそんなこといわれなあかんのっていう感情と、見捨てられる不安とで。
同時に、「信頼」って強制されるもんじゃなく、自然に湧いて出てくるもんなはずなのに、この人絶対おかしいと感じ、そこを離れた。
離れてしばらくは変な咳が続くしお腹と胸が重いしで、念でも飛ばされてたと思う(笑)
それ以来一度も行っていないけど、今思えばあの経験って所謂スピリチュアルハラスメントだったんだなと。
あの頃は今よりも更に「スピリチュアル」についてよくわかってなかった、+メンタルも身体もへろへろで、何が正しいか、自分では判断することができない精神状態だった。相談職時代、相談者さんが「決断」できる精神状態にないと判断した時は、緊急時の介入は除いて、まずは心を休めることを優先してはどうかとアドバイスをしたものだけど、まさしく、当時の私には心をきちんと休める時間が必要だった。
だけど、そういう時に限って、同時に焦燥感もわいてるもんだから、「なんとかしなくちゃ」って藁にもすがる勢いで、精神的な世界へ入っていったりするんだよね。
そしてそういう時ほど、「あなたの病名は○○です、この治療で完全に治ります!」って断言されたくて、ハラスメント加害傾向にある、支配欲の強い人のところに吸い寄せられたりしてしまう。
そこで支配欲の強いヒーラーなんかに当たると大変だし、そうでなくても、漠然とした孤独感とか、焦燥感を抱えてる時期に、ぽんっと「これが楽になれるメソッドよ」って提示する、スピを冠したネットワークビジネスに巻き込まれるとほんとにやっかいだ。
私の経験や観察してきた「スピリチュアル」界隈のどろどろした実態からも、批判されるべきところはきっちりと批判されるべきだと思うし、支配的なところ(キラスピも内実そうだと思ってる)に引っかからないように、「スピリチュアル」に従事する人にも、そこに興味を持つ人にも、何らかの啓発をしていく必要はあると思う。自己責任論では片づけられない構造的な問題も大きいと思うから(この構造的な問題に関する考察はおいおい書きたいテーマ)。
ただ、数日前からSNSで目にする「#スピしぐさ」のムーブメントについては、少々いただけない、というか、「厭な」感覚がある。
ブラックユーモアも交えた批判は、それがまだ少数の段階では、的を得たセンスのある内容である場合が多い。ただ、それが不特定多数の人々を巻き込んだムーブメントに成長する中で、中身の精査の無い、ただの「いじめ」に似た構造を生み出して行く現象って、あると思う。
今回のスピしぐさに限らず、例えばそれが政権に対する批判だった場合でも、批判に熱狂するあまり、女性差別や出自への差別等、卑劣な属性差別が混入してしまう現象もたくさん見てきた。繰り返しになるが、当然、批判すべきものというのはたくさんあって、批判を経て社会が建設的に発展していくことは健全だ。
ただ、そこで発生する一種の熱狂が、時に発せられる矢が流れ弾のように、別の抑圧を生み出すことには、本当に注意すべきだ。
特に、「スピリチュアル」って、ヘンテコなものでしかない、ということはないし。恐らく批判している人の中にも、私なんかよりそれを十分わかっている人がたくさんいるとは思う。ただ、「スピしぐさ」ムーブメントに透けて見えるバカにする空気が、単体でならさほど威力を持たずとも、集団になると結構全方向への破壊力をもって、巻き込まなくてもいいところまで巻き込んでしまう現象へと発展することには注意した方がいい。
私自身、「スピリチュアル」に限らず、おかしいと思ったことに対して、時に感情的に批判することもあるけどね。ただ、それが何か自分の「手を離れて」、成長する段階に来た時には、どうしても警戒心が働くんだわ。
特にSNSって、良くも悪くも「増長させる」装置でもあるから、自分がなんか、ちょっとおかしな方向に来てないかなと感じはじめた段階で、自分の中に、「支配欲」や「優越感」が生じてきてないか、チェックする機会を設けた方がいいかもしれない。
それは、批判される側、批判する側、どちらに対しても思う事。
全然関係ないけど、ここ一週間くらい、色々「振り返る」出来事、感情の変動が続いていて、これって夏至前ってことも関係あるのかなあなんて、漠然と思ってる(笑)
毎日めちゃくちゃ眠いのは低気圧のせいかもしれないけどね。
ただ、就寝前になんかのエネルギーが身体中に流れて身体が膨張して溶けるかとおもったり、なんもしてないのに頭のてっぺん(第7チャクラ?)がびりびりさわさわしたり、どうやら何かが身体に起こってそう。同時に、良い意味で喝を入れられる本や思想に出会ったり、肩の力が抜ける出来事が続いてる。もしかしたら、なんかの節目かもしんない。
「自分探し」を卒業しよう
「自分探し」、「本当の自分」、「ありのまま」etc. はたまた「自己肯定感」。
スピリチュアルや自己啓発系でよく目にするこれらのキーターム。
一見、さもありなんな概念に思えるけれど、それらが語られる文脈は、ことごとく「自分の内側」である。他者承認はあまりにも環境要因に左右される、つまりそれに委ねることがあまりにも不安定だから、自己承認を追求する方法へシフトチェンジするはいいが、手に取った自己啓発メソッドでは結局うまくいかず、うまくいかない自分をまた責める。そんな悪循環って、結構あると思う。
メソッドを見つけた瞬間はアドレナリンが出て、これで「楽になれるかもしれない」というプチハイによって、一瞬は憂鬱が晴れる気がする。しかしそれも時間が経つと元に戻る。
これこそが、「罠」なんだと考えている。
一時の高揚感をサプリメントにして、また次の高揚感に飛びついてしまう。
結局「自分探し」はどこまで行っても終わらず、延々と自分の「小さな城」の中からは出られない。
だが少し視点をずらしてみると、そもそも、自分というのは社会とのかかわりの中で浮かび上がってくる存在なのだと気づく。確かに、この社会で自己肯定感を得ることは難しい。だからこそ、一旦それを諦めてみてはどうか。
自己肯定感や本当の自分にこだわるあまり、社会と自己との関係が弱まり、自己啓発メソッドを信じているごくごく狭いコミュニティに閉じこもって、自分のしっぽを延々負いかける犬のようにくるくるまわるのではなく。
自己啓発等とは関係のない人たちと深い会話をしてみてはどうか。
スピ系youtuberの動画をむさぼる前に、ギデンズ等の社会学に関する本を読んでみてはどうか。新書でもいいと思う。
少し前に、自己啓発と社会構造の関係について調べていた際、ついぽちっとしてしまった『自己啓発をやめて哲学をはじめよう』
自己啓発の欺瞞をきわめて合理的に解説していく本書の内容には、思わずひざを打った。そして、ここでの内容は自己啓発に限らず、自己啓発のスピ的焼き直しでしかないメソッド、つまり、大多数の(巷の)スピリチュアルにも大いに当てはまるものばかり。
例えば、本書は自己啓発が、特に貧困層をターゲットにした貧困ビジネスである点、そ
してその仕掛人自身もまた、不安定な状況にあることを鋭く指摘している。
「溺れる人に藁を売るその人もまた、溺れているのです。自己啓発を仕掛ける人々は、そうして自己啓発による儲けによって資産形成を進め、自分のための救命ボートを確保しようとしています」
そしてこの、自己啓発のマーケットを支えるのは、「不安(Fear)」「不確かさ(Uncertainly)」「疑念(Doubt)」の頭文字を取った「FUD」というマーケティングの手法だという。
誰もが持っている「欲求」、それこそが環境に左右されることはよく知られているが、本書では、だからこそ、その環境を「欲求」とは異なる形で構築する方法が提唱されている。これは己啓発やスピリチュアル界隈で目指される「望みをかなえる」方法とは真逆の態度だ。
「自分という存在の豊かさ」は、自分探しの中ではなく、他者、社会との関わりの中で構築していくものなんだろう。孤独感、漠然とした不安感を抱えながら、他者、社会との関りを諦めない(そもそも社会との関りは嫌でも切れないのだが)ことが肝要だろう。そこを無視して、心底信じられないメソッドにすがっていくこと、これこそ、自分への裏切り行為であり、自分を信頼する感覚を損なう自傷行為に見えて仕方ない。
得体のしれない「リーダー」の作り出したイデオロギー、権威をまずは疑ってみる。本を読む。他者と語る。
自己肯定感へのこだわりを一旦脇に置いてみる。
もちろん、自己肯定感は一定社会を大枠で把握するための、社会学的な視点を獲得する有効なツールではある。
だが、マスな視点を離れて、極めてノマド的に、がむしゃらに自己肯定感をあげようと自分探しの迷路に迷い混むくらいなら、いっそのこと諦めた方がよっぽど健康的だ。
そろそろ「外の世界」に目を向けてみよう。
さようなら「スピリチュアル」
いよいよ、巷の「スピリチュアル」の陰謀論ラッシュで、目が覚めた。
カバール? ‥はあ??
世界同時瞑想のCOBRA関連の動画を見て確信した。
やつら(陰謀論を普及させる連中)は「アホ」だ。
いちいち反証はせんが、素人目にみてもわかる画像修正、捏造、悪意にまみれとったぞ。
陰謀論、あれ、やばいやつやで。まじで。
批判、大事やで。
特に批判的思考な
クリティカルシンキングともいう。
学歴とか関係ない。
物事を、感情に流されず、客観的に判断する思考方法
のこと。
きっちり、批判的思考で世の中を見つめないと、いつの間にかへんなとこに巻き込まれんで。
地球温暖化は嘘とか、トランプはカバールと闘う正義のヒーローとかさ(笑)、オバマの再就職先はISISとか(笑)、COBRAとかさ、そんなんももうやめようや。
デュアリティ(二項対立)は卒業とか言いながら、闇レッテル貼って分断煽るの、もうや
めようや。
「政治はわからない」じゃないねん。
日常・社会は「政治的」なのよ…
私たちは嫌でも、社会の中に生きてんの。政治の中に生きてんの。
だから、一人ひとりが自分の責任を自覚しようや。
デマ、ヘイト、陰謀論、広めてる場合ちゃいまっせ。
そこらを広めるスピリチュアルとは、もうさようなら
私にとってのスピリチュアルは
生きる中たくさん学びを重ねて、自分なりの哲学を構築して、
自分の良心と善性に従った選択を積み重ねていく
こと
陰謀論批判から、やっと踏ん切りつきました。
「復活した」で!!
「依存」とは??
今日は、ここ一年程考えてきた、スピリチュアルと依存の関係について書こうと思う。
「『依存』はいけないことだ」という観念。これを持っている人は、結構多いと思う。
心理学でいうところの「アディクション」が、その元になっているのかもしれない。
「アディクション」と言われる時、たいてい、薬物依存、恋愛依存、クレプトマニア、摂食障害、自傷、カルト等々にまずフォーカスがあたるからかもしれない(それらの「症状」は、その時々の苦しさからなんとか必死に逃れようとした結果なので、それらを「いけないこと」として断罪することは誰にもできないと思っている)。
だが、「依存」にはもっと広いフェーズがあると思っている。
何かに「頼る」ことを含むというような。
私たちは、みな何かに頼りながら生きている。
病気になれば、私たちは医者というメディカルな専門家に治療を頼む。
パソコンが故障すれば、専門の技術者に修理をお願いする。
さらには、食べる物についても、多くの生産者に頼っている。
なんでも、その道の「専門家」がいる。
個々人が全ての専門的技術を習得することは不可能だ。
私たち人間が社会に生きるということは、それぞれが得意な分野の知識や技術を習得し、あるいは先天的に持っている資質を活用し、それぞれに分業することで、助け合っていくということなのだと思う。
一人でその全部を担う必要はないのだ。
それは、ヒーリングも然りなのだと思う。
自己ヒーリングである程度はエネルギーを整えることはできても、やはり自分の手に負えない「状態」がやってくることはある。
日々生活習慣に気を付けていても病気になることがあるように。
そんな時、信頼の置けるヒーラーさんに「お願い」することは、癌になれば外科手術を医者にお願いするのと同じく、なんら不自然な事ではないのだと思う。
なぜか、ここ2年間、私はこれらを全て「自分」でするべきだという感覚に陥っていた。
それは心のどこかで「依存」がいけないことだという自分への縛りをかけ続けていたからかもしれない。
だけど、一日の「時間」が限られる中、できないこと、自分で習得するにはあまりにも時間がかかることに関しては、誰かに頼ってもいいはずだ。
依存という大きなフェーズのグラデーションの中で、それが、「それなしでは生きてはいけない」という強迫観念に傾く時、本人はしんどくなるだろう。
だけど、そういった経緯も経て、自分の力を思い出す瞬間があるかもしれない。
「頼る」状態と、「それなしでは生きていけない状態」はきっと地続きで、人はこの間を揺れ動きながら、バランスをとる方法を学ぶのかもしれない。
なんでもかんでも「依存」だと言って悪者扱いすることはできないんだと思う。
少なくとも私は、何でも自分で処理しようとするよりも、思い切って、「頼る」勇気を出した方が楽になれた。
その分、私の得意分野で力になれることで、人から頼まれたときは、喜んで力を貸す。
人が一人で完全なのであれば、そもそも社会は必要ないもんね。
スピと陰謀論-こういう時こそ、「冷めた頭」で判断しよう
今回の内容は、かなり正直にスピ界隈への「批判」を書いてます
見るとトリガーされて不快になる方もいるかもしれません
以下、閲覧自己責任でお願いします
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コロナの件で、世界中が不安に包まれている。
集団の不安が強まる時、だいたい、頭をもたげてくるものが陰謀論だ。
ここでは、この陰謀論の内容を広めたくないので、詳細には書かないが、
今回のコロナの件に限らず、東日本大震災での「人工地震説」、グレタさんの背後に巨大闇組織がいる説、トランプ陣営のネット選挙戦略としての、〇アノン、ほんとに馬鹿げてる。
陰謀論は、概して、極右の保守主義がリベラル陣営に対し「闇」のレッテル張りを行う戦略の一環として行われている。その内容は、世界を操る本当の「闇」の組織勢力がおり、それらに対抗する、「我ら」正義の戦士たちがいる、という構図を採っている。たちが悪いのは、これらがこうした「正義感」を巧妙に刺激して、人々を巻き込んでいることにある。
その根っこが極右なので、当然と言えば当然だが、結局陰謀論は、架空の「敵」を作り、人々の分断をあおり、息苦しさや戦争、差別、貧困を生み出す社会・経済的な構造要因から目を背けさせる。本当に、質が悪いし、もう正直に言ってしまうと、大っ嫌いな類。。
私からすると、陰謀論こそが人々の心根にすくう「暗部」の露呈であり、「闇」だ。
問題なのは、ごく一部のカルトであれば仕方ないのかもしれないが、スピリチュアルの実践者たちにもこの馬鹿げた論の信奉者がいることだ。
「愛」とか「ワンネス」とか言っておきながら、結局陰謀論の生み出す分断策に乗っかる人、見ていて痛いし、恥ずかしいし、情けない。もう少し「理性」、「知性」を使おうよ…と思う。せっかく持ってるんならさ。
正直、そういう人とはそっと距離を置く…
不安な時こそ、人々のメディア・リテラシー、情報リテラシーが重要だと痛感する。
普段から「改ざんだらけの政府の情報が信用できない」、政治不信、これらは当然と言えば当然。だからこそ、対する市民の側が、しっかりと「正しい情報」を視る目を養っておく必要がある。熱くなると、感情的になると、陰謀論などのとんでも情報にも反応してしまう時があるかもしれない。
頭をしっかり冷やしながら、情報に向き合う必要がある。
物事が起きる背景には、本当にさまざまな要因がある。「コンテクスト」という言葉がある。これは文脈とも訳されるが、本来の意味(語源)は、一本一本の糸同士が絡み合い、重なりあいながら布という特定の自称を形成する様から来ている。
つまり、私たちが経験する出来事は、単一の原因から成り立つのではないということ。
そこには、国際情勢、経済構造、文化、社会規範、集合意識、偶然の一致、ジェンダー、エネルギーといった複数の変数(要素)が複雑に交差する様が現れているのだ。
物事、事象を観るときには、複雑なことをしっかりと読み取る目が必要だ。
闇の支配勢力の戦略とか、一万歩譲ってそういう要素があるとしても、あくまでもそれは一要素ではしかないということ。
最後に、
「トランプは『闇』と闘う正義のヒーロー」と本気で信じている人、
ネットだけではなく、まず本をしっかり読んで、自分の頭でロジカルかつ理知的に思考することを試みた方がいいです。
「感じる」だけじゃだめですよ。
それだけを頼りにして「堕ちた」人、結構みてきましたよ…
チャクラの停滞の原因究明 ー 土地の影響の大きさ?
かなり怖いサイキックアタックと霊障に関する経験をし、重いものを祓ってもらってすぐ、ペンデュラム講座を主催しているMさんの言の葉セラピーを受けることを決めた。
以前Mさんにチャクラ診断をしてもらい、上のチャクラがかなり停滞していると知って(その割に6・7チャクラはすごいじんじんすることが多いのだけど、これも不思議で、もしかすると停滞しているからこそ、アクティベートが起こっていたのかもしれない)、自分のチャクラの状態を改善して、バリアをしっかりはりたいと強く思ったから。決心に近いかな。
2日後に予約が取れ、まずはじめにダウジングでのリーディング結果を簡単にシェアしてもらった。
そこから話をしながら、要因についてさらに細かく絞っていく。
まず、現在7チャクラ・8チャクラ・9チャクラがほぼ完全に停滞しているとのこと。
そしてその大きな原因は、次の重たいエネルギーがまとわりついているから
①土地 ― 12歳~
②友人 ― 高校時代の某友人
③パートナー(仕事関係) ― なんと、、大学院の友人で反応…
一番驚いたのは、12歳からの土地の波動の影響をずっと今の今まで受け続けており、チャクラ停滞の一因になっていたこと!
そして、その土地とは、私の通っていた中学校(爆)
後々思い返すと、当時から陰湿ないじめが多かった。ある時は、障がいのあったYさんへのいじめを目撃し担任に訴えたが、逆に「○○の見間違えちゃうか」とあしらわれ、親に一緒に学校にきてもらい説得(?)したこともあった。
そんな昔の土地の波動を未だに引きずっていたとは…
そして②・③については「人」に関わることなので割愛。
ただこの二つもリーディングしてもらうまでは思いもよらなかった。
他にも、生まれた時の波動(持って産まれた波動)が宇宙系で強さも標準だったが、4歳~18歳まで祖母宅の土地の影響を受け、4歳にして人生のターニングポイントともいえる程のチャクラ・エネルギーの停滞だったと(爆)
これも思い出せば、祖母宅に行く度になぜか腹痛・下痢ばかり。小学校低学年の頃には自分はガンじゃないかと真剣に悩んでいた…
そこから、息ができなくなったらどうしようとか、よくわからない心配ごと・不安が次から次へと浮かんできて、ある種神経症みたいになっていたんだった。
身体は正直だし、ほんとに小さいのによく頑張って生きたねって、心から思えた。
結局、チャクラ停滞の原因に一番疑っていた「自分」が入っていなかったのだった。
また、
潜在意識のキーワードが「意欲」「希望」「楽天」
顕在意識のキーワードが「受容」「許し」「円満」
ということで、今の今までずっと悩んできた意味不明の「不安」がポコポコわいてくる状態というのは、どうやら他者の思念や他の集合意識ということのようで。
ということは、もちろんベースの身体を整えること、心を整えることもしっかりしつつ、きちんと自他の感情の境界を作って、自分ではないものについては速やかに去っていただくことが必要で。
このあたりのバリアや自己浄化は、やはり今後も課題だと思った。
ちなみに、停滞させるような思い波動というは、意識にのぼればすぐに消えるそうで、私も今回のリーディングを聞いて「腑に落ちて」から、チャクラが回復♪
波動の世界は不思議が色々でおもしろいなと思った。
他にも、実は父親の波動もこれまた強い宇宙系だそうで。
私の体質は誰の遺伝かなと思っていたのだけど、なんと絶対違うと思っていた父親由来だった!この父親も、とんでもなく重たくなってたらしく、その原因が去年退職した職場の土地の波動…
土地の波動って良くも悪くもすごい。
ただ、こうした土地に関する何らかの意識っていうのは、結局は遡れば部落差別にもつながってきたわけで。
人もしかり、誰かをエネルギー的な「悪者」にする思考は、差別意識として人類の歴史の中で繰り返されてきた。魔女狩りなどの宗教的な差別とかね。
だからこそ、エネルギー的な影響を「知った上で」、どれだけ自分が他者や土地のエネルギーへの「恐れ」に向き合い、それを克服してニュートラルに捉えられるようになるかが、鍵となってくるなと思った次第。
この課題は、実はスピリチュアルを「受入れて」すぐに気づいたことだった。
エネルギーという一般には目には見えないものだからこそ、そこに「恐れ」や「忌避感情」が生じやすい。
私も例外ではなく、エネルギーの干渉を知ってすぐは人が怖くなっていたのだった。
エネルギーを知ることで、ますます自己鍛錬・内観が大切になると感じる。
とにもかくにも、長年の便秘がすっきりしたような快感と感動のセッションだった!
サイキックアタックや霊障、親子間のエネルギーの繋がりについて ― 怖い話(実体験)なので閲覧注意
今月上旬から半ばあたりから、夜就寝前に、頭と足下の不快感で眠れなくなることがちょこちょこあった。
それがとても不快で、もやもやするような感覚だったり、その箇所だけ自分のエネルギーが空っぽ担っているような感覚で、足をばたなたしたくなっていた。
実はこうした不快感がある時、いわゆる憑依など、重たいエネルギーがくっついていることが多いと経験上わかっていたので、今回も同様の感覚から、何かがあるなとは思っていた。
ただ、放っておいて、様子をみようとしていた。
ところが、3日前の夜、、就寝前に人のうめき声が聞こえ、さらに就寝前に、ついに「もうこれはあかんやつや!!」という不快な感覚に襲われたことから、夜中に某霊能力者の方に電話をして、霊視と徐霊をお願いした。
電話がつながると、霊視に入らずとも、「既に頭が痛い」と言われ(笑)
そりゃそうだよなと思いながら、祓いの真言に委ねた。
真言が終わるころには、下半身と頭の不快感がだんだん軽くなっていき、翌朝にはもうすっかり良くなっていた。
霊視の結果は、嫉妬を持つ女性の生霊とそれに引っ張られた浮遊霊が数体、くっついていたそう(爆)
正直、私はそういう類のことに関しては本当に怖がりなので、もうこりごりだと思ったし、除霊が終わってすぐに、何とか自身の身体と心のベースを立て直さねばならないと決心した。
「変わるんだ!!!」という強い意志が、改めてわいてきた。
結果、この経験が、恐らく人生のターニングポイントになるかもしれないセッションに繋がることになったのだが、そのことについては後の記事で改めて書きたいと思う。
さてさて、今回の経験で驚いたことの一つに親子の繋がりの強さがある。
私がサイキックアタックを実感しだした今月上旬から半ばにかけて、母親がずっと腰の痛みを訴えていた。
その母親の腰の痛みが、私がちょうど除霊をしてもらった時間あたりになくなっていたというのだ。
母親には私の除霊の話はしていない。
ただ、朝になってなんとなく腰の痛みについて尋ねたところ、○○時前までは薬を飲んでも効かない、尋常じゃない背中と腰の重さ、痛みがあったのが、突然なくなったというのだ!!
これにはびっくりした。
まさか腰の痛みが私の経験と繋がっていたとは。
親子はやはりエネルギー的にもしっかり繋がっている事を、改めて実感する出来事だった。
さてさて、その後、変なエネルギーが飛んできたなと感じる時に、本当に気合を込めて、「去れっ!!!!」と叫ぶとそれが消えるということがあった。
もしかすると、やはりサイキックアタック等エネルギー的な干渉については、「気合」がとても重要なのかもしれない。