DANA2222のブログ

社会システムとスピリチュアリティ、主体、フェミニズム等等、思ったこと、感じた事、経験したことを徒然綴っています。

スピ「批判」のお作法とは

「スピ」断ち宣言をしてから約一か月がたったんだろうか。

 

今回はスピハラ、キラスピ批判と、その「お作法」についてつらつらと書きたい気持ちが。

 

陰謀論選民思想(個人でも、国単位でも)、マウントに走る、頼んでもないのにすぐに波動の高低で人・ものを「ジャッジ」するが、中身が空っぽの(というより自分の頭で考えてない)「スピリチュアル」とは距離を取ることを決意してから、本当にすっきりした分、今まで半分目をつむってきた過去のスピ界隈での経験を改めて振り返ることがでてきた。

 

「あ~、私はあの時いやな思いをさせられてたんだな」とか

「離れて正解だったな」とか、いろんな感情が出てくるね。

 

幼少期は見えない世界を当たり前に思っていたけど、「大人」になってからスピリチュアル云々については完全アンチになり、ニーチェの「神は死んだ」を口癖にしている人間だった私は、パニック発症を機に、レイキに行き着いた。実際、体感・感覚に素直になってみた結果、「見えない世界がある」という視点が開かれたというか、楽になったこともたくさんあった。

 

レイキ自体は今でもとても好きで、週一くらいのペースで自己ヒーリングにいそしんでいる。ただ、そのヒーラーさんから、今思えばマウント(ハラスメントか)をとられていた。

 

例えば、

・入店早々、私に対し「(邪気を)すごいだしてる、頭くらくらしてきた」という(笑)

・重いものがたくさん出てきて辛かった時期に、「あたなは今世では全部浄化は無理よ」と笑われる(笑)

・「自分は既に5次元にいる」という。

・いかに自分以外のスピリチュアルが偽物かを熱く語られる。

・自分が勧めた歯医者に行かず、私が通う歯医者をほめると機嫌が悪くなるw

決め手は、 

・不安が溢れてパニくってた時に、「あなたはこの○○(ヒーリングスペース)への信頼が足りないのよ!」と怒られたことだ。その時私、数年ぶりに人前で泣いたんだわ。

何でそんなこといわれなあかんのっていう感情と、見捨てられる不安とで。

同時に、「信頼」って強制されるもんじゃなく、自然に湧いて出てくるもんなはずなのに、この人絶対おかしいと感じ、そこを離れた。

離れてしばらくは変な咳が続くしお腹と胸が重いしで、念でも飛ばされてたと思う(笑)

それ以来一度も行っていないけど、今思えばあの経験って所謂スピリチュアルハラスメントだったんだなと。

 

あの頃は今よりも更に「スピリチュアル」についてよくわかってなかった、+メンタルも身体もへろへろで、何が正しいか、自分では判断することができない精神状態だった。相談職時代、相談者さんが「決断」できる精神状態にないと判断した時は、緊急時の介入は除いて、まずは心を休めることを優先してはどうかとアドバイスをしたものだけど、まさしく、当時の私には心をきちんと休める時間が必要だった。

だけど、そういう時に限って、同時に焦燥感もわいてるもんだから、「なんとかしなくちゃ」って藁にもすがる勢いで、精神的な世界へ入っていったりするんだよね。

そしてそういう時ほど、「あなたの病名は○○です、この治療で完全に治ります!」って断言されたくて、ハラスメント加害傾向にある、支配欲の強い人のところに吸い寄せられたりしてしまう。

 

そこで支配欲の強いヒーラーなんかに当たると大変だし、そうでなくても、漠然とした孤独感とか、焦燥感を抱えてる時期に、ぽんっと「これが楽になれるメソッドよ」って提示する、スピを冠したネットワークビジネスに巻き込まれるとほんとにやっかいだ。

 

私の経験や観察してきた「スピリチュアル」界隈のどろどろした実態からも、批判されるべきところはきっちりと批判されるべきだと思うし、支配的なところ(キラスピも内実そうだと思ってる)に引っかからないように、「スピリチュアル」に従事する人にも、そこに興味を持つ人にも、何らかの啓発をしていく必要はあると思う。自己責任論では片づけられない構造的な問題も大きいと思うから(この構造的な問題に関する考察はおいおい書きたいテーマ)。

 

ただ、数日前からSNSで目にする「#スピしぐさ」のムーブメントについては、少々いただけない、というか、「厭な」感覚がある。

 

ブラックユーモアも交えた批判は、それがまだ少数の段階では、的を得たセンスのある内容である場合が多い。ただ、それが不特定多数の人々を巻き込んだムーブメントに成長する中で、中身の精査の無い、ただの「いじめ」に似た構造を生み出して行く現象って、あると思う。

 

今回のスピしぐさに限らず、例えばそれが政権に対する批判だった場合でも、批判に熱狂するあまり、女性差別や出自への差別等、卑劣な属性差別が混入してしまう現象もたくさん見てきた。繰り返しになるが、当然、批判すべきものというのはたくさんあって、批判を経て社会が建設的に発展していくことは健全だ。

 

ただ、そこで発生する一種の熱狂が、時に発せられる矢が流れ弾のように、別の抑圧を生み出すことには、本当に注意すべきだ。

 

特に、「スピリチュアル」って、ヘンテコなものでしかない、ということはないし。恐らく批判している人の中にも、私なんかよりそれを十分わかっている人がたくさんいるとは思う。ただ、「スピしぐさ」ムーブメントに透けて見えるバカにする空気が、単体でならさほど威力を持たずとも、集団になると結構全方向への破壊力をもって、巻き込まなくてもいいところまで巻き込んでしまう現象へと発展することには注意した方がいい。

 

私自身、「スピリチュアル」に限らず、おかしいと思ったことに対して、時に感情的に批判することもあるけどね。ただ、それが何か自分の「手を離れて」、成長する段階に来た時には、どうしても警戒心が働くんだわ。

 

特にSNSって、良くも悪くも「増長させる」装置でもあるから、自分がなんか、ちょっとおかしな方向に来てないかなと感じはじめた段階で、自分の中に、「支配欲」や「優越感」が生じてきてないか、チェックする機会を設けた方がいいかもしれない。

 

それは、批判される側、批判する側、どちらに対しても思う事。

 

 

全然関係ないけど、ここ一週間くらい、色々「振り返る」出来事、感情の変動が続いていて、これって夏至前ってことも関係あるのかなあなんて、漠然と思ってる(笑)

毎日めちゃくちゃ眠いのは低気圧のせいかもしれないけどね。

 

ただ、就寝前になんかのエネルギーが身体中に流れて身体が膨張して溶けるかとおもったり、なんもしてないのに頭のてっぺん(第7チャクラ?)がびりびりさわさわしたり、どうやら何かが身体に起こってそう。同時に、良い意味で喝を入れられる本や思想に出会ったり、肩の力が抜ける出来事が続いてる。もしかしたら、なんかの節目かもしんない。