DANA2222のブログ

社会システムとスピリチュアリティ、主体、フェミニズム等等、思ったこと、感じた事、経験したことを徒然綴っています。

エナジー療法とアクセス保障 - レイキの科学的証明に関する記事を読んで

今日、とあるレイキに関するネットのニュースを読んで、少し考えていることをブログでシェアしたいと思った。

 

日本語記事はこちら

 

tocana.jp

 

ちなみに、英語版記事はこちら

The Power of Reiki – Explained By Postdoctoral Research Fellow At Harvard Medical School – Collective Evolution

 

この記事では、ハーバード大ポスドク研究員であるトレント博士が、レイキ治療の効果を実証研究し、発表する予定であることが書かれている。つまり、これまで、近代科学では門前払いを食らっていたであろう「スピリチュアル」なエネルギー療法が、ついに保守的な近代科学の土俵に挑戦しようとしているということ。

 

これは、なかなかすごいことだと思う。

 

私自身、二年前に初めてレイキヒーリングを受け、確かな効果を体感したことから、これまでの人生観をひっくり返されたことがある。

大人になるにつれ、極端な唯物論者と化していっていた当時の私は、まさか自分が否定、批判してきた「不確かなもの」に「癒される」経験をするとは思いもよらなかったのだ。

しかしそれは動揺でもあり、感動でもあった。

 

当時、その人生観のひっくり返る経験の中で、これまで自分がよって立ってきた近代科学への妄信という傲慢さをひしひしと感じた。

 

「見えない」ものは「ないもの」。科学的に証明されていないものは「ないもの」とする、とんでもなく視野狭窄かつ、フェミニズムではない姿勢を持っていたのだと、今になって強く思う。

 

この記事でも指摘されているように、「臨床の場で効果を発揮しているにもかかわらず、科学的な研究対象として見なされないこと」は不当なことだと思う。「ポスト物質主義科学を提唱する米アリゾナ大学ゲイリー・シュワルツ教授が非難している」「科学者集団のこのような態度」はなにもレイキ等エナジー療法に限ったことではない。これは、近代の旧態依然の保守的社会科学が、フェミニズム研究・ジェンダー研究に取ってきた態度とも通じるものがある。

 

またこの記事では、次の印象的な指摘がある。それは、「ある現象が実際に起こっているにもかかわらず、物質的に解明できないという理由で否定することはおよそ“科学的”ではない」ということだ。

 

自分の確かな「体感」や「実感」があるにもかかわらず、それが近代科学で証明されていない、近代科学には「馴染まない」と思われる性質であるがゆえに否定する態度は、自分が過去批判される立場にあったことを棚に上げることが許されるならば、おおよそ傲慢以外の何物でもないし、自分との信頼関係が遮断される大きな要因となることが予想される。

 

こうした近代科学の姿勢に対し、本文では、ポスト物質主義科学という概念が挙げられている。この概念自体とても興味深いし、今後機会が在れば関連論文を翻訳したいと思うが、ここでは差し当たり、近代科学では門前払いされてきた領域にようやく光があたりだす傾向として、賛意を評したいと思う。

 

 

このブログ記事では、このレイキ研究が始まりつつあることに驚きと喜びを感じているということの他に、あるいはそれと関連して、これまで考えてきた保健医療と鍼灸治療(東洋医学)、その他エナジー療法やアロマ、フラワーエッセンス、ストーンセラピー等に関する考えをシェアしたい。

 

 これまで生活支援から法律相談、メンタルヘルス、DV性暴力等総合的な相談窓口で相談員をしてきた経験からつくづく感じることは、精神的につらい状況にある人ほど、経済的にも弱い立場にあるということだ。両者は実は相関関係にあるので、経済的な脆弱性メンタルヘルスの疾患にもつながることはよく知られているのかもしれないが。

 

ところが、例えば生活保護受給世帯員は、当然ながら健康保険の適用される病院にしか通院できない。それ以外の病院、例えば鍼灸やセラピーであれば、自分で費用を賄う必要がある。しかし、そもそも生活保護費は医療扶助から生活扶助まで厳密に計算されていて、なかなか保険外の継続的な医療を受けられる余裕は生まれない。

 

他の例でいうと、生活保護水準ぎりぎり、またはそれ以下の生活をしているシングルマザーは、到底その費用を捻出できないだろう。

 

資本主義による経済格差はもはや歴史の必然であるが(マルクスを読まずとも産業革命以来の社会状況を見れば歴然だ)、経済的に苦しい状況にあることが原因で、本当に効果のあるエナジー療法を含めた保険適用外の医療を受けられないことは、私には不正義・不公正に思えて仕方ない。

 

それならば、鍼灸エナジー療法に保険が適用されればいいじゃないか、と考えたのが約2年前。

だが通っている鍼灸院の主治医に話を聞くと、どうもそれが難しいらしい。

一つには鍼灸業界に関しては、本来であればロビー活動等で力を発揮できる立場にある業界団体が、そもそも脆弱だとのこと。

 

治療家同士のネットワークもあまり強くはないと。

これは鍼灸以外の療法にも言えることだろう。

 

もう一つ、考えられる原因としては、そもそもその効果の実証が、近代科学のアプローチに馴染まないとされていることがある。これは先に指摘した近代科学の姿勢そのものへの批判にも通底する。つまり、本当に効果があるのに、それが「数値化」困難、「客観化」困難であるという「言い訳」によって、そもそも証明する研究段階にまで登らないということである。

 

私は社会科学が専門なので、近代科学の、特に医療分野については極めて門外漢ではあるものの、やはり、これでは社会の格差は広がるばかりだなと感じる次第。

 

私には、この格差を自己責任とする発想は到底ないわけで、やはり、例えどんなに経済的・社会的に脆弱な立場にあったとしても、その人に必要な療法にアクセスする権利を保障できる社会システムが整備されてほしいと切に願う。

 

資本主義社会にあって、実現困難なように思えるこの願いも、今回の記事にある研究のように、近代科学に挑戦する研究の伸展によって、遠い将来、かなうかもしれない…。

しかし、社会システムの整備においては、「果報は寝て待て」ではうまくいかないだろう。 

同じような問題意識を持つ「仲間」とも出会えれば、ディスカッションしたい。