ついにインナーチャイルドに向き合う日がきた②
古い感情がむくむく顔が出してきて、これは何かに取組むべきタイミングが来たかな?と感じていた。
まずはカウンセリングかな?と思い、
前から気になっていたところがあり、思い切って予約をした。
当日はもう朝からコンビニのお会計中に小銭をばらまき、自転車をひっくり返し、買った物も路上にばらまき、なんというか、かみ合わない・・・(笑)
なんじゃこれはと思いながらやっとこさサロンに到着。
メニューの相談をしていたところ、インナーチャイルドのワークの提案をされた。
だけど私としては「そこじゃないんじゃない?」という感じで、「カラーセラピー」をお願いした。
が、いざ始めようとすると、なんとボトルの一本が青か紫に変色しているとのこと!(驚)
これではできないね、ということで、急遽インナーチャイルドワークへと変更したのだった。
そこから、聞かれるままに幼少期から家族関係まで話をしていった。
私の母親は過干渉で支配体質だった
小学校の教員でもある彼女は私が覚えている限り、小さいころから激務だったと思う。
フラストレーションがたまってたんだろう。
ADHDで片付けられない、忘れ物がひどい私は、よく彼女から怒られていた。
今でいうところの虐待に近いこともよくあった。
私は鼓膜が四回破れているんだけど、その内二回は母親に殴られたためだった。
とにかく怒鳴り散らしてキレて殴ってくるので、いつだったか、私は彼女が帰宅する時間帯が怖くて仕方なくなっていたのだった。
そのせいか、大人になってもしばらくの間、「○○!!」と怒鳴られる幻聴があって、ビクッとしていたんだった。
また、よくベランダの外に締め出された。
怖くて怖くて、父親がかえってきた時に助けてくれたんだけど、その父親自身も機能不全家族に育ったせいか、自我が強くなった私の愛し方がわからない人だった。
小学校高学年の反抗期真っ盛りの時、父親に辛く当たる母親の態度をなぜかまねていた私は、父親に口答えをした。
その時、思い切り殴られてふっとんで、鉛筆が足の裏に刺さった!数年前まで痕が残っていた。
母親は、私が高校生になると、私の交際相手とのやり取りを監視して、束縛するようになった。メールの中身をチェックして、時にはデート現場に乗り込んできた。
暴力が束縛過干渉という形にかわってから、本当に家を出たくて出たくて、高校卒業前に不動産屋にいき、物件を探してきて、母親と父親に「お願いだから家を出たい」と懇願した。
ところが、父親は私をどつきまわしたのだった。ショックで泣いていたら、また戻ってきて蹴られた。
対外的には「しっかりもので頼りになる○○さん」の父親は、私にとっては暴君だった。
その後、水商売を初め、お金をためて家出をした。18歳だったと思う。親に賃貸の保証人は頼めなかったので、最初はホテルを転々として、付き合っている男性の家に居候を始めた。
その頃から摂食障害を発症した。これは約7年続いたが、今では完治している。
そのあと元夫と結婚したものの、出産して経済的関係が逆転してから、DVが激しくなった。結果離婚して実家へ戻る。
今思うと、全部繋がってたのかもしれない
実は、私には過去の記憶があまりない。
分析すると解離性健忘症に該当するんだろうなあとは思う。
自分の経験は「ひどい」ものだとは思うけど、どこか家では特に常に怯えている状況が当たり前すぎて、今となっては「辛さ」というものがなくなっていたのだった。
セッションを通じて、あの時、あのまんま置いて行った小さい自分に出会えた。
同時にこれらの記憶が当時の感情と一緒に戻ってきた。
これまでは防衛本能で、過去を置いてきていたんだなと思う。
向き合うことは辛い。かなり苦しい。
セッションが終わってからはずっと頭が痛いし、身体はだるいし、あちこちがきしむように痛い。おまけにひどい腹痛にお腹の下し・・・感情もひどく不安定だ。
セッションをしてくれたRさんは、メールで励ましてくれる。
きっと人はショックな経験をした段階で適切に癒されていないと、それを課題として持ち越してしまうんだと思った。
「辛かったよね」「よく頑張ってきたね」っていう共感と寄り添いがその段階で得られないと、感情が昇華されないまま居座って、後々様々な症状で「気づいてよ」ってサインを送ってくるんだろう。
きっと今の私は、ようやくそこに向き合う準備ができたんだなと感じる。
焦らず、過去の自分と再び出会って、癒していこうと思う。
ちなみに、この浄化(?)、好転反応があまりにもきつくて、これはどういうことなのかオラクルに聞いてみた。
結果、思わず笑ってしまった。
子どものカード ― インナーチャイルドを現している
スピリチュアルな成長のカード ― そのまんまだね
ハトのカード ― 平和や希望、安らぎ、新たな世界
ほんとにドンピシャ(笑)