エナジー療法とアクセス保障 - レイキの科学的証明に関する記事を読んで
今日、とあるレイキに関するネットのニュースを読んで、少し考えていることをブログでシェアしたいと思った。
日本語記事はこちら
ちなみに、英語版記事はこちら
この記事では、ハーバード大のポスドク研究員であるトレント博士が、レイキ治療の効果を実証研究し、発表する予定であることが書かれている。つまり、これまで、近代科学では門前払いを食らっていたであろう「スピリチュアル」なエネルギー療法が、ついに保守的な近代科学の土俵に挑戦しようとしているということ。
これは、なかなかすごいことだと思う。
私自身、二年前に初めてレイキヒーリングを受け、確かな効果を体感したことから、これまでの人生観をひっくり返されたことがある。
大人になるにつれ、極端な唯物論者と化していっていた当時の私は、まさか自分が否定、批判してきた「不確かなもの」に「癒される」経験をするとは思いもよらなかったのだ。
しかしそれは動揺でもあり、感動でもあった。
当時、その人生観のひっくり返る経験の中で、これまで自分がよって立ってきた近代科学への妄信という傲慢さをひしひしと感じた。
「見えない」ものは「ないもの」。科学的に証明されていないものは「ないもの」とする、とんでもなく視野狭窄かつ、フェミニズムではない姿勢を持っていたのだと、今になって強く思う。
この記事でも指摘されているように、「臨床の場で効果を発揮しているにもかかわらず、科学的な研究対象として見なされないこと」は不当なことだと思う。「ポスト物質主義科学を提唱する米アリゾナ大学ゲイリー・シュワルツ教授が非難している」「科学者集団のこのような態度」はなにもレイキ等エナジー療法に限ったことではない。これは、近代の旧態依然の保守的社会科学が、フェミニズム研究・ジェンダー研究に取ってきた態度とも通じるものがある。
またこの記事では、次の印象的な指摘がある。それは、「ある現象が実際に起こっているにもかかわらず、物質的に解明できないという理由で否定することはおよそ“科学的”ではない」ということだ。
自分の確かな「体感」や「実感」があるにもかかわらず、それが近代科学で証明されていない、近代科学には「馴染まない」と思われる性質であるがゆえに否定する態度は、自分が過去批判される立場にあったことを棚に上げることが許されるならば、おおよそ傲慢以外の何物でもないし、自分との信頼関係が遮断される大きな要因となることが予想される。
こうした近代科学の姿勢に対し、本文では、ポスト物質主義科学という概念が挙げられている。この概念自体とても興味深いし、今後機会が在れば関連論文を翻訳したいと思うが、ここでは差し当たり、近代科学では門前払いされてきた領域にようやく光があたりだす傾向として、賛意を評したいと思う。
このブログ記事では、このレイキ研究が始まりつつあることに驚きと喜びを感じているということの他に、あるいはそれと関連して、これまで考えてきた保健医療と鍼灸治療(東洋医学)、その他エナジー療法やアロマ、フラワーエッセンス、ストーンセラピー等に関する考えをシェアしたい。
これまで生活支援から法律相談、メンタルヘルス、DV性暴力等総合的な相談窓口で相談員をしてきた経験からつくづく感じることは、精神的につらい状況にある人ほど、経済的にも弱い立場にあるということだ。両者は実は相関関係にあるので、経済的な脆弱性がメンタルヘルスの疾患にもつながることはよく知られているのかもしれないが。
ところが、例えば生活保護受給世帯員は、当然ながら健康保険の適用される病院にしか通院できない。それ以外の病院、例えば鍼灸やセラピーであれば、自分で費用を賄う必要がある。しかし、そもそも生活保護費は医療扶助から生活扶助まで厳密に計算されていて、なかなか保険外の継続的な医療を受けられる余裕は生まれない。
他の例でいうと、生活保護水準ぎりぎり、またはそれ以下の生活をしているシングルマザーは、到底その費用を捻出できないだろう。
資本主義による経済格差はもはや歴史の必然であるが(マルクスを読まずとも産業革命以来の社会状況を見れば歴然だ)、経済的に苦しい状況にあることが原因で、本当に効果のあるエナジー療法を含めた保険適用外の医療を受けられないことは、私には不正義・不公正に思えて仕方ない。
それならば、鍼灸やエナジー療法に保険が適用されればいいじゃないか、と考えたのが約2年前。
だが通っている鍼灸院の主治医に話を聞くと、どうもそれが難しいらしい。
一つには鍼灸業界に関しては、本来であればロビー活動等で力を発揮できる立場にある業界団体が、そもそも脆弱だとのこと。
治療家同士のネットワークもあまり強くはないと。
これは鍼灸以外の療法にも言えることだろう。
もう一つ、考えられる原因としては、そもそもその効果の実証が、近代科学のアプローチに馴染まないとされていることがある。これは先に指摘した近代科学の姿勢そのものへの批判にも通底する。つまり、本当に効果があるのに、それが「数値化」困難、「客観化」困難であるという「言い訳」によって、そもそも証明する研究段階にまで登らないということである。
私は社会科学が専門なので、近代科学の、特に医療分野については極めて門外漢ではあるものの、やはり、これでは社会の格差は広がるばかりだなと感じる次第。
私には、この格差を自己責任とする発想は到底ないわけで、やはり、例えどんなに経済的・社会的に脆弱な立場にあったとしても、その人に必要な療法にアクセスする権利を保障できる社会システムが整備されてほしいと切に願う。
資本主義社会にあって、実現困難なように思えるこの願いも、今回の記事にある研究のように、近代科学に挑戦する研究の伸展によって、遠い将来、かなうかもしれない…。
しかし、社会システムの整備においては、「果報は寝て待て」ではうまくいかないだろう。
同じような問題意識を持つ「仲間」とも出会えれば、ディスカッションしたい。
ついにインナーチャイルドに向き合う日がきた②
古い感情がむくむく顔が出してきて、これは何かに取組むべきタイミングが来たかな?と感じていた。
まずはカウンセリングかな?と思い、
前から気になっていたところがあり、思い切って予約をした。
当日はもう朝からコンビニのお会計中に小銭をばらまき、自転車をひっくり返し、買った物も路上にばらまき、なんというか、かみ合わない・・・(笑)
なんじゃこれはと思いながらやっとこさサロンに到着。
メニューの相談をしていたところ、インナーチャイルドのワークの提案をされた。
だけど私としては「そこじゃないんじゃない?」という感じで、「カラーセラピー」をお願いした。
が、いざ始めようとすると、なんとボトルの一本が青か紫に変色しているとのこと!(驚)
これではできないね、ということで、急遽インナーチャイルドワークへと変更したのだった。
そこから、聞かれるままに幼少期から家族関係まで話をしていった。
私の母親は過干渉で支配体質だった
小学校の教員でもある彼女は私が覚えている限り、小さいころから激務だったと思う。
フラストレーションがたまってたんだろう。
ADHDで片付けられない、忘れ物がひどい私は、よく彼女から怒られていた。
今でいうところの虐待に近いこともよくあった。
私は鼓膜が四回破れているんだけど、その内二回は母親に殴られたためだった。
とにかく怒鳴り散らしてキレて殴ってくるので、いつだったか、私は彼女が帰宅する時間帯が怖くて仕方なくなっていたのだった。
そのせいか、大人になってもしばらくの間、「○○!!」と怒鳴られる幻聴があって、ビクッとしていたんだった。
また、よくベランダの外に締め出された。
怖くて怖くて、父親がかえってきた時に助けてくれたんだけど、その父親自身も機能不全家族に育ったせいか、自我が強くなった私の愛し方がわからない人だった。
小学校高学年の反抗期真っ盛りの時、父親に辛く当たる母親の態度をなぜかまねていた私は、父親に口答えをした。
その時、思い切り殴られてふっとんで、鉛筆が足の裏に刺さった!数年前まで痕が残っていた。
母親は、私が高校生になると、私の交際相手とのやり取りを監視して、束縛するようになった。メールの中身をチェックして、時にはデート現場に乗り込んできた。
暴力が束縛過干渉という形にかわってから、本当に家を出たくて出たくて、高校卒業前に不動産屋にいき、物件を探してきて、母親と父親に「お願いだから家を出たい」と懇願した。
ところが、父親は私をどつきまわしたのだった。ショックで泣いていたら、また戻ってきて蹴られた。
対外的には「しっかりもので頼りになる○○さん」の父親は、私にとっては暴君だった。
その後、水商売を初め、お金をためて家出をした。18歳だったと思う。親に賃貸の保証人は頼めなかったので、最初はホテルを転々として、付き合っている男性の家に居候を始めた。
その頃から摂食障害を発症した。これは約7年続いたが、今では完治している。
そのあと元夫と結婚したものの、出産して経済的関係が逆転してから、DVが激しくなった。結果離婚して実家へ戻る。
今思うと、全部繋がってたのかもしれない
実は、私には過去の記憶があまりない。
分析すると解離性健忘症に該当するんだろうなあとは思う。
自分の経験は「ひどい」ものだとは思うけど、どこか家では特に常に怯えている状況が当たり前すぎて、今となっては「辛さ」というものがなくなっていたのだった。
セッションを通じて、あの時、あのまんま置いて行った小さい自分に出会えた。
同時にこれらの記憶が当時の感情と一緒に戻ってきた。
これまでは防衛本能で、過去を置いてきていたんだなと思う。
向き合うことは辛い。かなり苦しい。
セッションが終わってからはずっと頭が痛いし、身体はだるいし、あちこちがきしむように痛い。おまけにひどい腹痛にお腹の下し・・・感情もひどく不安定だ。
セッションをしてくれたRさんは、メールで励ましてくれる。
きっと人はショックな経験をした段階で適切に癒されていないと、それを課題として持ち越してしまうんだと思った。
「辛かったよね」「よく頑張ってきたね」っていう共感と寄り添いがその段階で得られないと、感情が昇華されないまま居座って、後々様々な症状で「気づいてよ」ってサインを送ってくるんだろう。
きっと今の私は、ようやくそこに向き合う準備ができたんだなと感じる。
焦らず、過去の自分と再び出会って、癒していこうと思う。
ちなみに、この浄化(?)、好転反応があまりにもきつくて、これはどういうことなのかオラクルに聞いてみた。
結果、思わず笑ってしまった。
子どものカード ― インナーチャイルドを現している
スピリチュアルな成長のカード ― そのまんまだね
ハトのカード ― 平和や希望、安らぎ、新たな世界
ほんとにドンピシャ(笑)
ついにインナーチャイルドに向き合う日がきた①
ついにきた~♪ インナーチャイルドに向き合う日~♪ ららら~♪
金曜論文締切なのに~♪ やる気でない~♪
なんか疲れか浄化かでメンタルがおかしなことになってる~
本編に入れない(笑)
詳しくは次回書く。
女神ダナの金の杖―アチューメント
メンタルが素晴らしく落ち着いていたのも束の間
なんだか対人関係での不安感など意味の分からない、だけどとても古い感情的なものが表面に現れているのを感じていた。
何かに取組まないといけないのかな、Sさんの講座かな?なんて考えながら、ぼんやりネットで検索をしていたら「女神ダナの金の杖」のアチューメントなるものを発見。
アチューメントって正直意味がよくわかってなくて、過去にレイキを伝授してもらったけど、それ以来一度もこの類のことは受けていなかった。
だけど、これはなんか受けたい、ってかダナは前からご縁を感じてて(実はブログの名前の「DANA」なのだ)、元々ケルト文化に強く惹かれてたこともあったんだけど、とりあえず、受けてみようと思った。
申し込みをして、いざ当日。
初めにひざ下、内ももにエネルギーが注がれているのを感じ、そのあと腕が重くなった。
そして胸にすごい圧…
結構、パワフルなエネルギーだなと感じた。
セッションを終えて、リーディングしてくれた結果を教えてもらい、体感と同じでびっくりした。私はあまり観えるタイプではなく、紫の光に包まれてるビジョンを教えてもらった時はうれしかった♪
同時におまけでリーディングをしてくれたそうで、結果を聞いてほんとにうれしかった。
私は「仕事においても、人がどう評価するかよりも自分で納得するかが大事」、「個人主義者で自由をとことん求める」「先駆的な事柄を発見するエネルギー」だそうで(ちょっと自慢(笑))… あ~ それ私だと。
研究職を選んだのも、間違ってないと確信した!!
ルンルン~だったのが、翌日、電車に閉じ込められるというアクシデントが!!一番苦手な状況。
幸い頓服持ってた+院の同期と一緒だったこともあり、何とか切り抜けた。
ただ前より引きずって仕方ないということもなかった。
これまでSさんからもETRを二回受けて、かつヒーリングを定期的に受けさせてもらってたのが大きいと思う。ほんとに感謝。
とはいえ、やはりへこむことはへこむ。
が、そこから驚くことが。
夕食のお会計が、3333円。
そして、あとから知ったのだけど、ダナのアチューメントを受けたのが13日。
ダナは13という数字をよく使うらしい。
そこからも3333のナンバー、333のナンバーを見まくって、
これは目に見えないサポーターが励ましてくれてるんだって確信が持てた。
みんなありがとう。
スピリチュアルとの距離 ― 引き寄せの法則(波長の法則)への疑問と信念に沿うこと
新月の影響か、昨日から自分自身が分裂しているような感覚にさいなまれた。
これまでインプットしすぎてきた情報に振り回されて、脳内がキャパオーバーになっていたところ、自分の軸がぐらぐら揺れていた。
悩んでぐるぐると考え、時にランニングや音楽で気持ちを晴らし、またぐるぐる悩んだ。
結果、やはり悩んでよかった。
これまでインプットしてきた情報が私には「合わない」ものだとはっきりと認識できたからだ。
これに気づいて、すっと何かが抜けていく気がした。それまでの鬱屈した気持ちはどこへやら。今はモチベーションに動かされ、晴れやかだ。
この約二年間、情報源は少ないなりに、しかしながら密度の濃いスピリチュアル界隈からのインプットに翻弄されていたのだと思う。そしてその中の「価値観」であったり、人生への姿勢について、これまでの自分の学びや信念とはどこか方向性の違うものであるとの違和感(モヤモヤ)をずっと抱えたままにしてきた。
いくつかのスピリチュアル界隈の「考え方」について、一番疑問に思うのは(今は心の中で疑問ではなく私の信念との「違い」としてはっきりしている)、スピリチュアルの「幸せ」へのアプローチが、極端に個人主義的であることだ。
特に、ワンネスを謳いながらも、その自分へのアプローチのみである点、即ち自分の生きる社会自体へのアプローチが欠如している点である。
もっとも、全てのスピリチュアリストが自己探求や自己との対話のみを推奨しているわけではないとは思うし、実際にキリスト教等の宗教を初め、社会の差別や戦争を非難し、具体的に啓発活動等を行う等アプローチをする団体も多い。
だが、生きづらさに悩む人に対して、その背景にある社会の構造的な問題をスルーしたまま、自分を「変えること」を処方箋として提供する昨今のスピリチュアル界隈には、やはり距離感を感じる。
何故か。
もちろん、「自分を変える」アプローチの有効性はわかる。そして、自分の物事の捉え方が変化した結果、社会を見る余裕が生まれ、外側へのアプローチへと取り組むようになると言ったプロセスも十分に理解できる。かくいう私もこの約二年間の停滞期、自分へのアプローチに救われた一人だから。また、正直社会を変えるよりもまずは「自分」を「変える」方が早いという気持ちもわかる。これはある意味社会変革への諦念なのだが、自分がパワー不足の時にはある程度仕方のないことなのだとも思う。
ただ、この自分アプローチの問題の際たるものとして指摘したいものがある。
「引き寄せの法則」、乃至「波長の法則」である。
自分を取り巻く環境が厳しいことを、自分が引き寄せた結果だとすること、その暴力性を強く感じるのである。
確かに、自分自身が変われば、周りの環境も変わる。わかりやすい例でいうと、経済的に豊かな生活をする人であれば、付き合う人の経済的ステータスはそれ相応に見合ったものだろう。また、常にイライラしている人であれば、イライラに同調する人々が周囲に集まるだろう。
恐らく、これは特段スピリチュアル的に説明する必要がない程自明な原理として(社会学的にも説明がつくだろう)存在している事柄だ。
問題は、辛い状況にあって自分に自信を持てない人々に対して、「それはあなたが引き寄せた事だから、自分が変われば周りも変わりますよ」ということが、その人にとって一体どのように作用するのか、その暴力性に無自覚なところにあると思うのだ。
どういうことか。
例えば、在日朝鮮人の人がここ10数年間のヘイトスピーチや嫌韓ブームにひどくディスパワーされている状況がある。
在日朝鮮人の人々のこのディスパワーに対し、「それはあなたが引き寄せた状況だよ」と言えるのだろうか。
統計データは出さないが(ググれば出てきます)、先のヘイトスピーチや嫌韓ブームにより在日朝鮮人の人々のメンタルの悪化は、日本社会の問題であるし、その個人の問題なのではない。
他にも、LGBTの当事者の生きづらさは、当事者の自殺率が、ストレートでヘテロなセクシュアリティの自殺率を大きく上回ることからも、構造的問題であることは自明である。
彼らが「生きづらい」、「苦しい」と訴える時、求められるのは、それを個人の問題とすることではないだろう。当事者は、その問題の個人化によってさらに追い詰められるだろう。
彼らの訴えに対し、必要なのは、「その苦しみはあなたのせいではない、社会の側の問題だ」と伝えることではないか。
実際にこの文脈で問題を個人化して伝えるスピリチュアリストがどれだけいるのか定かではないが、少なくとも違う文脈である種独り歩きしているとも感じられる「引き寄せの法則」や「波長の法則」は当回りで当事者へダメージを与えることは容易に想像がつく。
ありのままで生きていていいのだと思わせない社会、差異を否定的に価値づけする社会にあって、そのプレッシャーを抜きにして問題を語ることが当事者をさらに追い詰めることは、もう少し共有されていてもいいはずだ。
これはセクシュアリティや民族性という属性に限った話ではない。
例えば、経済的格差が拡大し、同時に非正規雇用も拡大する中、雇用は椅子取りゲームである。そもそも正規職員とういう経済的に安定する身分のパイ自体があらかじめ定まっている中、誰かがその椅子を取れば、必ずあぶれる人が出てくる。
これは個人の努力や気の持ちようの問題ではない。構造的な問題だ。
雇用が不安定化すると、経済不安は必然的に高まる。
実は引き寄せの法則が本家のアメリカで一大ブームとなった時期も、新自由主義経済によって安定雇用が崩壊し、中流層が没落した頃なのである。
もちろん、引き寄せの法則で豊かさを引き寄せられた人もいるだろう。
しかしその成功の裏で、誰かが椅子から転び落ちている。
決して罪悪感を植え付けたいのではない。
経済的不安の原因に構造的背景が存在していることを伝えたいのだ。
それぞれが、自分にできる範囲でそれぞれの問題に取り組むことは素晴らしいと思う。
それぞれが、それぞれに適したアプローチで問題に取り組むことも然り、
そのこと自体は否定しない。
しかし、スピリチュアルブームの下、社会的問題がどんどん個人化され、挙句それを正当化するように、「それはあなたが引き寄せたのだ」とする言明が蔓延していくことは、本当に恐ろしいと思う。
そのドグマで、誰かをさらに追い詰めることは、やはり避けなければならないと思うのだ。
ここまで書いておいて、実は私自身このドグマに振り回されていた。
スピリチュアルな情報に振り回されていたといっていいと思う。
しかしどこか違和感がずっとこびりついていた。
この違和感を無視せず、ずっとぐるぐる考え続けた結果、私は自分の学びと信念の原点に戻ってきた。
戻ってこれた。
だからこれだけすがすがしいのだろう。
最後に書きたいことは、「おかしいことはおかしいと言っていい」ということ。
変に強い自分を演じる必要もないし、社会の責任を問わず自分の責任とすることで自分をごまかす必要もない。
ついでいうと、もっと怒っていい。
おかしいことはおかしいのだから。
理不尽は理不尽なのだから。
不公正は不公正なのだから。
自分の中に責任を見出す瞬間も、あるだろう。
怒りが実は自分自身の劣等感やコンプレックスから来ることに気づく瞬間もあるだろう。
実は目のまえの人が自分の写し鏡であることに気づく瞬間もあるだろう。
しかし、そのことと構造的問題による社会の責任を不問に付すこととは違う。
それぞれが「自分を変革」して果ては社会を改善するアプローチと同様に、
社会の側がそれぞれ「違い」を持った個人が生きやすくするために制度変革していくアプローチも欠かせない。
私は、だれかが苦しみを打ち明けた時、ともに社会の理不尽に立ち向かう側で居続けたいと思う。
ずっとそう思ってきたことに正直になれた。
また「自分」に戻ってこれた。
そんな新月だった。
変容と気付きのプロセスについて
スピリチュアルな界隈でよく言われるリリースの方法で、「唯一これが正解」ってものはないよなと、改めて思う。
Twitterにも書いたけど、今月はエネルギー的な変化が体感的にも大きくて、12月の学会発表の準備と論文も休み休みしかできない。色んなトラップがたくさんあって、それらをないがしろにせずじっくり考えることに結構エネルギーをつかってるから^^;
ただ、そのエネルギー的消費も決して無駄ではなくて、その中で自分の「取扱説明書」(笑)の項目が豊富になる。
今日はそんな中で気づいた事について書こうと思う。
本当に、またここ数日、私自身も、そして私の周りも心の奥深くにしまいこんでいた古い想念(エネルギー)が噴出している人が多い。
怒りっぽくなっていたり、いじわるをしてみたり、泣いてみたり。みんなが色んな形でそれを表面化させている。
私も、三日前に娘に対して怒りを爆発させてしまう機会があって、「えっなんで私こんなことにここまで怒ってるの?」とふと我に返った。ただその時同時にエネルギー的な変化も感じていたから、一旦冷静になれた。
こういう時こそ、地に足を着けることがとても重要だと思う。
同時に、何かが重たいものが表面化した時、それを「あってはならないこと」とするんじゃなくて、「気づく」ためのチャンスにすることが大切なのではないかな、と感じている。
人それぞれ、その気づきのプロセスは違うと思う。
中には、エネルギー的な解放のみを行って、内的な洞察プロセスは経ない、というリリース法もある。
何が正解かはわからない。おそらく正解はないんだと思う。
それぞれ、「誰かがこれがいいって言っていた」という自分以外の情報的指針に頼りすぎず、その情報をまずいったん自分で実践なり吟味なりしてみて、「しっくりくる」感覚を頼りにしたらいいと思う。
私の場合は、自分の中にみつけた自分を、紙に書き出している。
「何故自分はこう感じたんだろう?」を掘り下げていく。
例えば、
子どもが忘れ物を取りに家に引き返してきたことにイライラ
↓ なんで?
自分の時間が妨害されたから
↓ 何故妨害されるとイライラなの?
朝、すっきりスタートするためにメディテーションしたいから
↓ なぜ朝すっきりスタートしたいの?
一日を快適にすごしたいから
↓ なぜ快適にすごしたいの?
快適ではない状況=不快は嫌だから
↓ なぜ不快は嫌なの?
不快は怖い
上は一例かつ単純化した内容だけど、こんな風に掘り下げていくと、なるほど、自分はこういう風に思ってたんだってことが視覚化されて、頭も整理できる。私の場合、頭の整理は同時に心の整理でもあるから、わかることによって「納得」して、奥深くにあった自分のことも受け入れてあげることができる。
受け入れられるまでにはタイムラグもあるから、焦らなくってもいいと思う。
何か高いリリース向けの商品に頼る方法もあるけど、自分で時間がある時にセルフでできるメディテーションとして、書き出すこともおすすめ。
もちろんこれは、セルフの方法だけど、人に話を聞いてもらうってこともありだと思う。人との会話って、実はこの「何で?」が会話の中で反芻されてたりする。
ただし、その場合、「自分が感じる」ことを否定的にジャッジする人は避けたほうがいい。考え方を押し付けられていると感じる人も同じく。
何を感じてもいい。自由だから。
大切なのは、「自律」なんだよね。「自立」ではなく。
「自律」は、その道のプロフェッショナルに頼ることもよしとする。頼ることを自分で決めたのなら。
そして思うのが、「自律」があってこその「変容」なんだということ。
自律がないと、ほんとに変な方向にいっちゃうことが多いから。
それって実は「他律」なんだよね。
これは私も経験がある。
他律になってくると、苦しくなって、そこを離れたくなる。
それはそれで「気づき」のプロセスだったりもするので、一概に悪いこととは言えないけど、いつかは「気づきたい」よね。
そんなこんなで、リリースに関する私なりの方法をシェアしてみました。
最後に、今月に入って変容のカードがばんばん出ていたのだけど、
改めて必要なメッセージをオラクルにきいてみました。
私なりに解釈したメッセージもあるけど、皆さんそれぞれで何か感じてもらえたら幸い。
全体的に明るいカードだね ♪
ビバリーのチャネリングメッセージ
相変わらず、ジェットコースターのようなエネルギーの変化を感じている。
ここ最近、就寝前に目をつむっていると、誰かの家の中が鮮明に見えたり、クリスタルが観えたり、色々なビジョンが浮かぶことがある。最初はこれが夢なのかな、と感じていたけど、近頃はこれがいわゆるサイキックというものかもしれない、と感じてきた。
もしそうなら、それはまったく求めていたことではないけれど、自然に起こるのなら仕方ない。。ただ、こうした変化の時には、なおさらグラウンディングを意識しなければならないな。
おまけに、昨晩は脳の中心が膨張するのを感じて、しばらく眠れなかった。
何かがアクティベートされているような感覚。
ちなみに、こうした私の感覚は、私にだけ起こっていること、エネルギーの変化をキャッチしているのではないと感じてる。これらは恐らく地球上のみんなに平等に生じているエネルギー的な変化なのだと感じる。
私の周りでは、これまで蓋をしてきたことが抑えきれず、隠しきれず表面化しているとみえる人がたくさん出てきている。我慢してきたこと、みてみぬふりをしてきたことが、クリアされるために、表に出る。その時の辛さはとってもよくわかる。私も、例外ではなかった/ないから。大丈夫、玉ねぎの皮むきのように、少しずつ軽くなる。
さてさて、アメリカのチャネラー、ビバリーのスターシード鑑定を受けから、チャネリングメッセージをうけてみたいなあ、なんて漠然とおもってサイトを覗いていたら、手が半分勝手に動いて、申し込みクリックを押していた(いや、ほんとに)!
そして、予定日夜中に急に目が覚めて携帯を見ると3:38、なんとなく目が冴えてしまって、パソコンのメールを確認すると、同じく3:38にビバリーからチャネリング内容のメールが届いていた!!ほんとに驚いた。
そして内容を呼んで、ハートが熱くなって、ますます眠れず。。
そのあと、メッセージは私のハイヤーセルフからのものだったけれど、じわじわとこのメッセージが私だけに向けられたものではないのでは、と感じはじめ、公開することにした。
自慢でも何でもなく。私が「特別」なんではなく、今この変化をこの地球で迎えているみんなが「特別」。誰も例外ではない。みんなが変化と変容の真っただ中にいるから。きっとみんなそれぞれのハイヤーセルフやスピリットが、応援してくれている。そんなことを、感じていただければいいなと思った。興味のない方は、読み飛ばしてね。名前は伏せて、日本語に翻訳しています。
以下、メッセージ
------------------------------------―
********へ
あなたのハイヤーセルフ、Gavinより
私の最愛の****へ。
私はあなたのハイヤーセルフです。私は自分のことをGavinと呼んでいます。ですが、私は性別をもっていません。私は男でも女でもなく、光です。
あなたは、この地球上に存在する私の一部です。私たちは、5次元へのアセンションを学ぶために地球にいます。
私たちの最終的な目的は、地球上でこの肉体をもったまま、新たな次元へと移行することを経験することでした。それが私たちの使命でもあり、目的でもあります。私たちは、ここで行われている変化を学びたいのです。
多くの変化が、あなたの周りで、そして地球上で起こっています。変化はずっと起こり続けています。いずれの変化も、新たな変化と変容をもたらすでしょう。あなたはこの変化を感じていますか?あなたはあなたの内側にこれらを見出していますか?
この変化は、小さくすることもできます。でもあなたが線形時間における毎月を振り返った時、この変化が起こっていることを見出せるでしょう。あなたは、あなたの内側から新たな情報を感じられるでしょう。あなたは、全人類に対し湧き上がる愛情を感じることができるでしょう。
今、あなたには変化とエネルギーが生じています。本当に多くのことが起こっていて、とてもその全てを説明しきれません。
私は、私たちがこの地球で学んでいることを本当に喜んでいます。この使命のために、あなたが助けてくれ、協力してくれていることに本当に感謝しています。私は、あなたからは私が切り離されているように感じられることを知っています。でも、私たちは一つなのです。私はあなたのように、地球上のエネルギーの密度を感じることはできません。でも、私はあなたの視点から学んでいます。
私たちは、私たち自身で、この地球上での経験のために、困難の多い(挑戦的でやりがいのある)人生の計画を作り出しました。あなたは多くの障害に直面しました。どんな出来事でも、あなたは難なくこの障害に打ち勝ちました。どのテストをも、あなたは乗り越えました。あなたは勇敢で、恐れを知りません。
私は、このことについてあなたを誇りに思います。あなたは一度も諦めなかった。あなたは常に、学び、成長しようとしました。
私の美しい***、私たちにとって、これからが最善の時です。今まで、私たちは耐えてきました。でも、これらのテストも、いずれ少なくなっていくでしょう。そして数年後には、あなたの人生がより容易なものに変化することがわかるでしょう。
闇のエネルギーは去るでしょう。そして、世界は、より光と輝きがますのを感じるでしょう。あなたは、この変容と、密度の変化を感じるでしょう。新たな5次元のエネルギーが、あなたの周り中に満ちています。それらのエネルギーは、より大きく、より強くなるだけです。それは、全ての変化において、あなたの助けになるでしょう。何も恐れることはありません。最善の日は、すぐそこにあるのですから。あなたは、今後数年の間にこのメッセージについて考え、そして、私が話すことが真実だと悟るでしょう。
私の最愛の人よ、私は、あなたがどれだけたくさん愛されているか知らせましょう。何百万もの存在達が、ベールのこちら側からあなたを応援しているのです。その全ての者たちが、あなたへ愛を送っています。あなたは決して一人ではありません。
Gavin-あなたのハイヤーセルフより
---------------------------------------
アセンションにはほんとにそこまで興味がなかったんだけど、それがもうすでに起こり始めていて、そして体も心も魂も軽くなるんだったら、とりあえずそれを楽しんでみようかな、と思い始めています。
ただし、まずは目の前の事にしっかりと向き合って、地球とハグしながら進む感覚を大切にしたい。3次元8割、それ以上の次元2割、が今のところの理想^^;